Sunday, February 1, 2009

大変な一月

毎年の一月は大変な月でした。なぜかというと、一月にファイナル試験の月でしたから。
今年も、一月は大変でした。一月たちの一番大変な一月でした。
しかし、それは、ファイナル試験のせいではありません。実は今年の試験はあまり難しくなかったです。
今月の難しさのわけはいろいろありました。
その難しさをリストにして、ちょっと皆さんとシアーしたいと思っています。(!)(ごめんね)


Case 1:「ガザの戦争」

イスライールの軍はパレスチナのガザの上にたくさんの爆弾を落として、たくさんの子供や女の人が死んでしまいました。たくさんの子供たちは家族をなくしてしまいました。たくさんの人は危ないけがをして、手や足をなくした人たちも結構いました。言葉にもならないことでした。
一月の始まりに、私は一日中テレビの前で座って、悲しいニュースを見て、泣くことと祈りしかできませんでした。私の弱さはどのくらいがわかりました。無駄な、人形みたいな私を残念ながらつらく感じました。夜でも、ほとんど寝られませんでした。

「私の場所でも、いつか戦争があったら、私はどうするのですか」
「私の家族のだれか殺されたら、私はどうするのですか」
「私の家は爆弾で倒れたら、私はどこに行くのですか」
「自分の足や手や目をなくしたら、私はどうするのですか」
「私は食べ物を見つけなかったら、どうするのですか」
と言う文は一晩中私の頭に浮かんでいました。

いくら私は無駄のをよくわかってきました。
本当に大変なことでした。



Case 2: 「タクシドライバーの話」

これは前のポーストで書いてありますから、そちらをみてください。



Case 3: 「ヨルダン大学での最後の授業」

2週間前に、大学で最後の授業を受けました。
一年前の私にとって、それは嬉しいみたいでしたが、今の私はあまり嬉しくないです。
一年前に私は試験を早く終えたかったですが、今になってそう思っていません。
また大学に行かないなんて、学部の友達に会えなくなるなんて、学部の先生に会えなくなるなんて、今までなれてきた生活をやめるのが難しいことだと思います。
無責任な生活を出て、知られていなくて、新しい生活を始めるのは大変だと思います。



Case 4: 「M-先生に会うのは最後だ」

先週、一年間半私に日本語を教えてくださった先生に「さよなら」だと言いました。
「さよなら」という言葉は本当に難しいです。
アンマンに向かって、アレッポを出たときの親戚への「さよなら」のは難しかったです。
親戚はアンマンを出て、アレッポに向かうときの「さよなら」は難しいです。
K-先生は日本に帰ったときの「さよなら」は難しかったです。
N-先生やS-先生は日本に帰ったときの「さよなら」はむずかしかったです。
今も、M-先生に「さよなら」だと言ったのは大変難しかったです。
私にM-先生は先生だけではありません、友達みたいです。
私にいろいろ教えてくださったり、いろいろな本をくださったり、一緒にいろいろな話をしたりしました。

また未来に先生に会うかどうかわからない私は、ただ一分間で「さよなら」だと言うのが本当に大変でした。



Case 5: 「パソコンのフォーマート」

先週も、私は自分のコンピューターに新しいOSをインストールしようと思いました。
LinuxのOSをしてみたかったです。
インストールした時、間違えで、フォーマートをしてしまいました!
コンピューターにあった全部のファイルはなくなりました!
勉強の全部のファイル、プロジェクト、写真、アニメのビデオ!全部は一秒で消えてしまいました。
顔が黄色になったほど、ショックしました。
私はそんな間違えをするのが想像できませんでした。
でも結局、幸運にも、弟は私にDataRecoveryと言うCDを紹介しました。それを使って、できるだけファイルを助けました!
それは週末の二日もかかりましたが、ファイルを戻せたので本当によかったです!

昨日やっと一月が終わりましたから、「よかったな」と思っています。
ほかの月がもっといい月になりますように!

3 comments:

Saemon 左衛門 said...

Case 1 のこと、
無駄だと言わないでください。どんなに小さくても、紅葉さんはできること何もかもやりました。他の人はその間何も気づかないで、遊んでばかりいました。想いは無駄じゃありません。希望は無駄じゃありません。お祈りは無駄じゃありません。絶対に。

Case 3 のこと、
大学の生活にも、職業の生活にも、
楽しみと苦しみがあります。ただ、味の違う楽しみと苦しみです。こう思えば、心配は消えるはずです!

Anonymous said...

いろいろなことがあった1月だったんですね。
Saemonさんと同じことを言います。
あなたの思いは決して「無駄」なことではありません。
あなたの「涙」も、
あなたの「むずかしさ=困難」も。

K-s

momiji said...

さえもんさん、小林先生、コメントをどうもありがとう。それはそうですけど、「なにかやらないと…」と感じています。
そして、私は自分の弱さとパレスチナの子供たちの強さを比べると、自分が無駄だと思います。彼らたちは、そんなことがあっても、まだ微笑んでいます。まだ、自分の夢について話しています。テレビに「ありがとう」といった子供もいましたね!
私はパレスチナの子供たちにいろいろ習ってもらいました。

小林先生、やっぱり、困難は無駄じゃありません。^^
親切な言葉をどうもありがとう。