Thursday, March 27, 2008

One more spring day ---> More Pictures! ^_^



UOJ

don't tell me that it is not Sakura !



(behind physics building)




Jordan's Salt, or, yorudan no saruto!


(The technique used for taking this photo was : Shoot and Run! ;)




And some "local" photos:









Wednesday, March 26, 2008

まだ夏じゃない、よかったー!^^

Because of the very hot weather last two days, I was about to consider that spring has finished and now we are in summer, that was until today came.
Wedensday in this semester is to be considered as my national holiday (like the Homs people in Syria :D), but because our teacher is very kind, he re-explained for me and two of my friends the lecture we missed before (remember the Mprocessor lecture?), so I had to go to the university from 8 o’clock.
I miss this time, cause my lectures this semester are somehow late.It is a very refreshing time.
After the lecture finished, and Alhamdulllah I understood every word in it, because it was just like a private lesson, I had to return back to home to continue enjoying my “national holiday”. i decided to break the routine, so I came back walking. Usually I come back by bus or taxi (depending on my mood). I like to return walking but my “yowai karada” disappoints me. But today’s weather was really opposeless.^^
It was a very nice walk, with a lightweight bag, some water and suppai “Mike and Ike”.
I take some photos for the nice green double sides of the road. Not many ones, because every time I holded my camera to took a photo, people in the street looked at me in a strange way. After some pictures, I felt shy and completed my way to home quitely.





At home, all my brothers were at school. So it was very quiet.^o^
My mother sent me to the near “dokkan” to buy some milk and cream for her cake. Some times I feel myself helpful.^^. It is a rare feeling for me :(.
Anyway, It was very nice “walk trip”, (I like to add a “trip” for every thing -_^).


And, Alhamdulellah for another spring day.


more spring pictures are on the way :)

Sunday, March 9, 2008

The 11th speech contest!  ありがとう、ごめんなさい!


So, it has been one week since the 11th contest, and 2 years since the 9th contest.

March, 1st, 2008. (^^)\Saturday: I opened my eyes to see the small hand of the clock pointing at 8 and the big one pointing at 6. I was about to continue my sleep, before I remembered that today is the speech contest day! And I tilled m-sensei that I will be there at 8:30!



What have I done? :(

I just became unsettled! Many things I should do: 1) toire 2) dressing 3)sending mail to n-sensie 4) talking with s-chan to remind her with the contest (she was also sleep!) . 5)And not to forget the camera. I did all these things in parallel (except the toire one!), then I fleet to the main street to take a taxi. And you know, when you need a taxi, it doesn’t come.

After all, I reached the university at 9:05. It took 5 minutes from the north door until the language center. Before 2 years , also, I reached at 9:10. But, at that time the contest was started at 9:30, so I was “Hayai”. This year, I was “Osoi”. (mina san, ごめんなさい! :( )

S1-chan and S2-chan reached about 9:20. futari no S-chan: ありがとう!for lefting your “attakai” bed, and coming to inspirit me :)

break time at 9:45. Final “renshuu” with m-sensei. M-sensei: ありがとう!

m-sensei no okage de, my mother and friends reached at 10:10 o’clock.mama san (=okaasan), A-san N-san H-chan, M-sensei: ありがとう!

The presentation session: totemo totemo totemo omoshirokatta desu. Mina san Otsukaresama~!

I liked all the presentations especially the one the festivals, and the one about schools. Also I liked the idea of the “kunafa no jidouhanbaiki”.

Another break time, “I must read the speech for my mother in arabic before she become shocked because she was not know yet what is my speech about”

I read it to her in this break time, but she was shocked and she cried a little. (shou gani ne! =B)

Mama san, ごめんなさい! Mama san,ありがとう!

So, now is my turn! I don’t know why my luck choosed me to be the first one to start. I was very tense!

Ok, hajimemashou!



こんにちは!

私はハスナー.アウワドと申します。

ヨルダン大学の学生です。

どうぞよろしく!(here, the mike started to work, T-sensei ありがとう!)


いつも ありがとう、いつも ごめんなさい


「だれに‘ごめんなさい’と‘ありがとう’を言おうかなー」

スピーチのタイトルを始めて見たとき、私はそう考えました。

いろいろな人に「ありがとう」と言いたいです。

いろいろな人に「ごめんなさい」と言いたいです。

でも、だれに「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うのか、一日中考えていました。

ついに その人が見つかりました。

その人の心はいつも私とあるのに、気づいていませんでした。

その人はいつも、私の背中を押しています。

その人はいつも、私を支えています。

だけど、私は一度も、それに気づいていませんでした。


その人は、私が生まれたときから今まで私といっしょです。

1歳のころ、その人は私に食べさせて、洗って、世話をしてくれました。

私はその人に「ありがとう!」といったかわりに、ひとばんじゅう 泣いてしまいました。 

「ごめんなさい」

4歳のころ、私が絵を習うために、色鉛筆をくれました。

私は「ありがとう!」といったかわりに、かべをぬってしまいました*

「ごめんなさい」

6歳のころ、学校に連れて行ってくれました。

私は「ありがとう!」といったかわりに、おおごえで叫んで、「行きたくなーい!」といってしまいました。

「ごめんなさい」

10歳のころ、学校から帰る私をだっこするために、うちでたのしみに待っていました。

私は「ありがとう!」といったかわりに、家に帰ったら、すぐ自分の部屋に入ってしまいました。

「ごめんなさい」

15歳のころ、成績がよかったので、泣いてくれました。

私は「ありがとう!」といったかわりに、ビデオゲームに夢中になっていました。

「ごめんなさい」

17歳のころ、大学に入る準備を手伝ってくれました。

私は「ありがとう!」といったかわりに、いつも部屋で勉強していて、ほとんど家事を手伝いませんでした。

「ごめんなさい」

来年、21歳になったら、大学を卒業するでしょう。

そのとき、彼女はきっとよろこぶにちがいありません。

いっぽうで、私は「ありがとう!」というかわりに、彼女のもとをはなれるかもしれません。アニメを習いに日本へ行きたいからです。

お母さん、「ごめんなさい」

   お母さん、「ありがとう!」

おかあさん、私はいつも 自分の夢や、自分がやりたいことしか 考えていませんでした。

私は、一度も、お母さんがほしいものを考えたことがありません。**

でも、お母さんは いつも やさしさを与えてくれています。

生まれたときから、愛のミルクを飲ませてくれました。

生まれたときから、あたたかさを 心に ともしてくれました。

生まれたときから、まるで花のように、香りを与えてくれました。

お母さん、あなたのほかに、だれがあなたになれるでしょうか。

夜に、病気になってしまったら、あなたのほかに、だれが かんびょうしてくれるでしょうか。

大変なことが起きたら、あなたのほかに、だれが熱心に いのるでしょうか。

おかあさん、もしあなたに対して、ひざまづいて かんしゃできるのならば、喜んでします。

でも、私はいくらお母さんを愛していても、お母さんの愛の大きさには かないません。

どれだけ しんせつな言葉をかけても、なにをあげても、お母さんには かないません。


今、私はもう一度子供になりたいです。また、小さくなりたいです。

そして、お母さん、私にまた教えてください。

私に読み方や、書き方をまた教えてください。

私に、どういうふうに いきていったらいいのか、教えてください。

どうやって、木の枝で、うたっている鳥のように、この世界で暮らしていったらいいのか、教えてください。

どうやって、悲しみを忘れて、ほほえみをたやさず、大変なことに 立ち向かうのか、教えてください。

どうやって、心に愛を抱くのか、また教えてください。

そして、私も、お母さんの 愛や あたたかさを 十分に うけとめられるように、一生懸命頑張ります。

私は、これから、お母さんの 願いを かなえてあげたいです。


そうすれば、たぶん、私はお母さんの 愛に ふさわしい娘になれるでしょう。

以上です^^

*sensei tachi, I practiced a lot on pronouncingぬって, but I didn’t pronounce it correct ごめんなさい , the same for 家事、and ほほえみをたやさず :(

** I don’t know why, but I said “欲しい物考えたことがありません” instead of “欲しい物考えたことがありません” :( ごめんなさい (i know it's a very beginner -level mistake)


The Arabic Translation : (T-sesnei, arabiago no yaku wo osoku okuttanode,ごめんなさい)


دائما شكرا ....دائما عذرا

"لمن سأقول شكرا و عذرا؟!"

هكذا فكرت عندما قرأت عنوان المقال لأول مرة، أريد أن أقول شكرا لعدة أشخاص، أريد أن أقول عذرا لعدة أشخاص ، ولكن من هو الشخص الذي سأقول له "شكرا" و "عذرا" معا في نفس الوقت؟

كنت أفكر بذلك طوال اليوم .و في النهاية، وجدت الشخص الذي يستحق الشكر والاعتذار معا.

لم أكن أدرك أن قلب ذلك الشخص متواجد معي دائما.

لم أكن أدرك أن ذلك الشخص طالما شد على أزري وساندني. لم أدرك ذلك و لو لمرة.

إنها متواجدة معي مذ ولدت.

عندما كان عمري سنة واحدة، غذتني و غسلتني و اهتمت بي أشد الاهتمام ، وأنا شكرتها بالبكاء طوال الليل،

أستميحك عذرا.

عندما كان عمري أربع سنوات، أعطتني قلما لأتعلم الرسم، أنا شكرتها بتلوين الجدران،

أستميحك عذرا.

عندما كان عمري ست سنوات، أخذتني إلى المدرسة، وأنا شكرتها بالصراخ "ما بدي رووووووح"،

أستميحك عذرا.

عندما كان عمري عشر سنوات، كانت تنتظر رجوعي من المدرسة لتعانقني، وأنا شكرتها بأن دخلت سريعا إلى غرفتي واختبئت،

أستميحك عذرا.

عندما كان عمري خمس عشرة سنة، كانت تبكي خلال نجاحي، وأنا شكرتها بهوسي بألعاب الفيديو لدرجة أني لم آبه لبكائها.

أستميحك عذرا.

عندما كان عمري سبع عشرة سنة، ساعدتني على دخول الجامعة، وأنا شكرتها بأني كنت أدرس في غرفتي معظم الوقت ولم أساعدها في أعمال المنزل،

أستميحك عذرا.

في السنة القادمة، عندما يصبح عمري واحدا وعشرين سنة، ربما سأتخرج من الجامعة. في ذلك الوقت ستكون فرحتها لا توصف بكل تأكيد. وأنا بدلا من شكرها أردت الابتعاد عنها، لأني أريد الذهاب للدراسة في اليابان.

أماه، أستميحك عذرا.

أماه، أشكرك جزيلاً.

أماه، لقد كنت دائما لا أفكر سوى بأحلامي وأماني وما أريد تحقيقه، لم أفكر و لو لمرة واحدة بما تريدينه أنت.

ولكنك، كنت و ما زلت تمنحينني اللطف والحنان.

مذ ولدت، سقيتيني لبن الحب.

مذ ولدت، غرست في قلبي الحنان.

مذ ولدت، نفحت أريجك في كالورد تماما.

من هو في قدرك يا أمي؟

، من غيرك يبقى ساهر في الليل إذا جاء المرض؟

، من غيرك يدعو لي بكل إخلاص إذا ضاقت علي الدنيا ؟

لو صح سجودي شكرا لك ياأمي لما ترددت بفعل ذلك أبدا، ولكني مهما أحببتك يا أمي، فإني لن أكافئ حبك لي. مهما قلت لك من كلمات طيبة، مهما أعطيتك فإنني لن أقدر على مجازاتك يا أمي.

أماه، إنني الأن أريد أن أعود طفلة مرة أخرى. أريد أن أعود صغيرة مرة أخرى. وأريد منك يا أمي أن تعلميني مجددا.

علميني القراءة و الكتابة مجددا.

علميني كيف أعيش، لا بل علميني كيف أحيا. علميني كيف أحيا هذه الدنيا كطير شاد بين الأغصان.

علميني كيف أزرع الحب في قلبي.

علميني كيف أنسى الحزن وأواجه المتاعب بوجه باسم.

علميني كل ذلك مرة أخرى،

ومن جهتي، فإنني سأبذل جهدي حتى أكون جديرة بحبك و حنانك.

سأبذل جهدي لأحقق لك أمانيك و أحلامك.

ربما بذلك، قد أستحق أن أكون ابنتك.


dewa,

Some pictures:


before and after the contest,

(before)



(after)


(before)




(after) (ok, i still like the old box too)
(notice how is the Mprocessors' book looks sad, cuz i missed its lecture on Saturday ) (Shouga nakatta ne)^^





(before)


(After)


では、失礼します。^^ やっと、第11回の大会について書きました。今はほっとできます。^^



Sunday, March 2, 2008

The 10th speech contest: 私は~が欲しい...私は~を心に持ちたい

Actually I’m now very excited to write about yesterday’s contest, but since the logic says that the number [10] comes before [11] , I’m must write about the 10th contest first!

It’s the logic after all!!^^

実は、1年前 私は スピーチコンテストに 出られなかったです。なぜかというと、ただ時間がないというわけでした!
でも、夏休みに「~がほしい」の主題について、ちょっと書きました。
皆さん私のスピーチを読んでみて、そして、日本語の間違えを直してくださいね。
ちょっとアラビア語を使いました。^^

私は「***」が欲しい

人間にとして、私は いろいろなものが欲しくて、したいこともたくさんあるでしょう。

お金が欲しい、有名になりたい、美しさが欲しい、強さが欲しい、ガンダムスーツが欲しい、パレスチナへ行きたい、世界のどこでもへ行きたい、忍者になりたい、漫画家になりたい、翼がほしい、飛びたい、時間が欲しい、満点が欲しい、医者になりたい、先生になりたい、大学に入りたい、大学を卒業したい、友達が欲しい、博士になりたい、平和が欲しい......

それは それは 人は たくさんのお願いがあるでしょう。それが 悪いお願いではありません。ぜんぶは いいお願いですね。でも、今 それより 私が欲しいものは一つある。
そのものは、何でもより、大切だと思います。そのものは、特別な気持ちです。その気持ちをいつも心に持ちたいです。

その気持ちは、愛だけではなく、恐怖だけではなく、もっともっと強い気持ちです。
その気持ちは言葉でびょうしゃできない気持ちです。でも、その気持ちのもとはここです。心なんです。
その気持ちは、小さいころから、母が教えていた気持ちなんです。
有名な話で、教えていました。
その話は、先生とせいとの話です。

ある日、先生は生徒たちに頼みをしました。

「みんな、鶏を切り殺して、明日持って来なさい」という宿題でした。
せいとたちのみんなは、簡単な宿題だと思いました。

でも、じょうけんがありました。
「その鶏を殺すとき、あなたをだれも見ないようにしなさい。だれでも、あなたを みたら 失敗だ!」

生徒たちは、また、簡単なことだと思いました。

みんなは、うちへ 帰って、鶏を選んで、適当な場所を探すようになりました。
ある学生は、森に隠れました。ほかの学生は地下に隠れました。
もう一人の学生は夜に押入れの中に隠れて、みんなは 鶏を切り殺しました。

次の日、みんなの生徒達は、殺した鶏を持って、喜んで学校に行きました。
でも、ある学生は、死んでいない鶏を引いて、悲しい顔をして、歩いて来ました。
「スハイル」と呼ばれていました。学生達は、みんな、スハイル君を見ると、笑うようになりました。

「かわいそうなスハイル君だねー!」
「失敗するはずだ!」
「先生は怒るぞ!」

みんなはスハイル君をからかいました。
あとで、先生が来ました。みんなは殺した鶏を先生に見せました。
一方で、スハイル君は 顔を下がって、ゆっくり はなれるようにしました。
先生はスハイル君を気づいて、質問しました。

「どうして 鶏を殺さなかったのですか。あなたは いつも 学生のうちに 最高でしょう。なんで、こんど、私の頼みをしなかったのですか。」

「せ...せんせい、失礼ですが、じょうけんは難しくないですか。」

「スハイル君、じょうけんはそんなに難しいですか。」

「ぼ ぼくは いろいろな 場所を探しましたが、だれも私が見えない場所を見つけませんでした。私は 森へ行って見たり、誰もいない場所へ行って見たり、夜にも いろいろなところへ行って見ましたけど、だれか 私を 見ていると感じますよ。なにか 心に すばらしい気持ちになりますよ。」

「誰かって?誰だという意味ですか、なんの気持ちですか。」

「そのだれかは「الله」でしょう。その気持ちは「تقوى」というでしょう。先生は私達に教えてくださったのでしょうか。どこでも、いつでも、「الله」は 僕を 見るでしょう」

スハイル君は、そう言って、泣くようになりました。
先生も 微笑みして、泣くようになって、学生達に言いました
「今日の 試験は、スハイル君しか合格しなかった。私は この試験をして、あなた達を教えたことがわかるかどうか 確かめるためでした。
そうなんです。「الله」は私達を目撃しています。
       「الله」は私達を見ています。
       「الله」は私達といつもいっしょです」


そう言う話でした。今まで 思い出します。
皆さん、その気持ちがわかりましたか。
多分、その気持ちが悪い気持ちだと思うかもしれませんけど、
その気持ちは心にあったら、人は 悪いことを しないようにします。
その気持ちは心にあったら、人は いつも ほかの人 と 親切にするようにします、いい人になるようにします。
その気持ちは心にあったら、人は 熱心に 勉強したり、働いたりします。
その気持ちは心にあったら、人は さびしさでも、怖さでも 感じません。なにか、問題があったら、「الله」は人に解決をみせてくださいますから。正しい道を見せてくださいます。
ですから、私はその気持ちが欲しいです。私は正しい道を歩きたいものです。幸せの道を歩きたいです。


イスラムきょうでは、人間はみんな同じです。違いがありません。
肌が白い人と肌が黒い人は同じです。
お金持ちな人とびんぼうな人は同じです。
頭がいい人と頭が悪い人は同じです。
アジア人とヨーロッパ人は同じです。
でも、ある違いがあります。心に もっと「تقوى」があったら、もっとあるほどいいです。
人はもっと熱心に働いたら、熱心に働くほどいいです。
なので、私はいい人になりたい、私はもっともっと「تقوى」を持ちたいです。
「الله」は 人間の 顔や姿を みませんけど、人間の心とできたことをみます。
ですから、私は「تقوى」を持ちたいです。私は「الله」にきれいな心を見せたいです。

^^ ijou desu